高齢 Today

高齢に達したことを記念して始めた日々の記録です

コロナな毎日

時間ばかりを持て余す日々。つけっ放しのテレビはコロナ禍の深刻さを伝えている。
というか実は、報道や情報番組を追っては政府の対応や社会状況を憂いている。
昨年の2月頃、高齢者に近くて少し患いのある私の元には、健康を気遣う言葉が寄せられた。私はそのたびに「これは健康問題ではなく、社会問題として大変だ」と言っていた。職していたころ、<パンデミック>や<アウトブレイク>といった言葉の近くにいたので、クルーズ船が近づくのを見て、社会的なインフラがどう対応するのか、心配になっていた。また、地球規模の自然災害や大きな気候変動もあり、ウィルスに侵される人類滅亡の序章ではと、SF劇画的妄想をたくましくもしていた。

それが、このごろは大げさではなく、本当に大変なことかもと感じ始めている。
地球規模の感染拡大により地域間、国家間の格差が大きく変化し、感染が収まったとしてもその後にどんなことが起きるのか、見通せない。おそらく出生率も変化し、人口流動も甚だしいだろう。待ち受けるのは低迷か貧困か争いか。
この国が行っていることは、呆れるほど間違いだらけで非効率だ。担当大臣は「感染の波は何度でも来る」と言い放ち、だからどうするかは持ち合わせていない。今はあたふたしている時なので、特にそう見えるのかもしれない。
一つ一つの問題については順次書き留めたいと思うが、大きくは感染拡大時用の社会構造を構築し、それをシミュレーションすることで光明が見えてくるのではと思う。分かりやすく書くと、対策のために縮小すべき社会機能を、単に停止するのではなく、一時的に医療関連など不足する社会機能に振り替える仕組みである。例えば飲食業が療養患者のサポートに携わる。例えば移動制限で余る運輸業を需要の増える医療系の搬送に振り向ける。それは感染防止に資する労働であり、その対価は当然国が支払う。支援ではなく、感染防止対策費だ。
こんな程度のことは学生や社会学の人々がいくらでも考えてると思うから、頼みますよ、政治・行政の皆様。