もやもや、気に食わぬ
いまは9日の未明。ふしだらな暮らしで、今頃のこのこパソコンに向かっている。
4月末からこのゴールデンウィーク中、新型コロナ対策や東京五輪問題で、なんというか、理の通らぬ身勝手な言質が目立ったようだ。一番が緊急事態宣言延長に係る首相会見だ。宣言の効果を問われ「人流を抑えることができた」と言いながら、延長に際して「大規模店などの営業規制を緩和する」という。街行く人を増やしたいのか、減らしたいのか、訳がわからぬ。この矛盾は各界から指摘され、大都市からはその方針をキャンセルされている。だいたい「人流」などという言葉はいつの間にできたのか。おそらく、ビッグデータの解析や何かで使われたのだろうが、政府が国民に事を説明するのに使うべき日本語ではないような気がする。
五輪関係では、組織委会長が「緊急事態宣言中にお越しいただくのはバッハ会長に大きな負担をおかけする」と言ってのけた。おいおい、その間に行っているプレマッチや聖火リレーなどに組織委員会は関わりないのか。その選手たちや係の人々にコロナ禍の負担をかけてはいないのか。
また会長はファイザー製のワクチン無償提供に「安心、安全な大会開催に一歩前進」と歓迎。どうやら組織委にとって「安心、安全」とは、五輪開催のための条件でしかないようだ。民意の7割が五輪開催に反対する理由の一つが、国と世界の「安心、安全」が五輪開催によって脅かされる懸念である。開催による感染拡大のリスクは、増大こそすれ小さくなることは決してない。特に、大会が終了し関係者が各国に帰った後に世界のウィルスがどんな状況になるか。予測はできているのだろうか。
街行く人々がマイクを向けられ、コロナ禍に関して語る言葉も気にかかる。
皆さん、コメンテーターのように流暢だ。施政を批判するであれ、自分の感想や実践であれ、とてもきれいに答えている。撮った後の取捨編集があるから、まとまりはいいのだろうが、なにか他人ごとに論評しているように聞こえるのだ。これはもしかしたら、ホントに多くの人々がコロナ禍をもう他人事と捉え始めていないだろうか。
東京都の場合、現在の感染者累計は人口の約1%という計算なのだが・・
もしかして、いらぬ風評を避けるために隠している人もいたり・・
クラスター追跡と称し、プライバシーに考慮しながらの行動聞き取りで、なるべく対象を増やさないように設定した<濃厚接触者>を追うだけの感染対策。そして、せっかく抽出した感染者が自宅療養、施設療養と称した、治療とは言えない環境に置かれているのが医療の実態である。こんなことが漫然と行われている。
本来は感染者の行動が公表され、皆がその情報を共有して感染予防に活かすべきだと思うが。