高齢 Today

高齢に達したことを記念して始めた日々の記録です

Mac のリビルト 2

リビルトの続き・・

2006 年製、MacPro M356J/A ・・ ハードのほうはいい感じ。
外付けの2.5inch Raid SSD(1.5T) eSATA 接続と、WDのポータブルSSD(2T) USB3.0 はまだ生きていて、マウントしてしっかり動いているようだ。3.5in のHDD Raid は電源が見つからず、まだ繋いでみていない。確か、WIN と共用していたから NTFSだったかも。
だとしたら、NTFS のマウンターが必要だ。それと、古いディスクベンチマークのソフトが見つからない。テストしてみないと怪しいかもしれない。

キーボード(USB有線)を簡単にバラして掃除したのだが、認識しなくなった。
壊してしまったかと一瞬焦ったが、他のキーボードを接続しても同じく「このキーボードを認識できません」の表示。2つで同じ反応ということは、別の原因? 
ハイ! USB経由の無線マウスをWin用のを繋いでいた。

嬉しかったのはスキャナーが使えたこと。E社のGT-9800。使わなくなり、捨てようと思っていてホントに埃をかぶっていた。ドライバーを調べていたら、2002年発売、修理対応期限が2010年 !? とある。どれだけ古い・・ が、ドライバーもmacOS ならBig Sur、Win は10の32bit版まである。ちゃんの動くんですね。奇麗にスキャンするですよ。

そもそもMacのリビルトを思いついたのは、ツレが古ーいアルバムを引っ張り出したからだ。それは煤けて炭化が始まりそうで、写真同士が張り付いたりして、なんともシャビーな・・ データ化しないと、消滅するなぁと・・

さて、鬼門は Adobe CS3のアクティベート ・・ いろいろやってみたが、ダメ。
記憶をたどると、AdobeのソフトはPS、AI、PR、AEとバラバラに使っていた。
それを、この MacPro の入手と同時に CS に乗り換えたというか、単体を使い続けることはできなかったのだ。

いろいろ思い出し始めるときりがない。別にまとめよう。
CS3は・・ もう少しジタバタしてみよう。

Mac のリビルト 1

昨年発売されたM1マックのことを最近知り興味を持った。
が、リタイアしてPC投資に見合う収入がない今、PCをおもちゃにしていいのか?
アプリケーションも手持ちは古く、追いつかないな・・ 
普段使いはWinのノートで十分だし・・などと考えてみる。

2階のデスク横のラックにはMacPro が埃をかぶっている。
ここ数年、この部屋で過ごすことはほとんどない。
昨年(2020)、Winのデスクトップ機はツレに譲るために下へ降ろしたり、散逸しかけた仕事の残骸をデータ化して整理し片づけたりした。
データ化といってもほとんどがSDの完パケであるし、CGなどのシーンパーツは取り置かないので、大したデータ量にはならなかった。
で、結構な量のテープ類や古い素材ディスクなど、さっさと捨てればいいものを、ぐずぐずしていたらまた入院となり作業はストップ。
そんなこんなのままで、ラック周りはひどく散らかっている。

2006製 M356・・ 久しぶりに起動してみる。
SSDを追加するなどして2012年頃までメインでこいつを使っていた・・ 
ひとつこれを再建してみてから、M1Macのことを考えるか・・
時間がかかって起動はしたものの、HDDがカツーンカツーンと鳴いている・・
マウントしているのは256GBのSSDのみで、OS10.6 ・・
そうだ思い出した。新ソフトの都合でOSの更新が必要だったが、古いソフトも現役で使っていてプラグインやらなにやらの都合もあって、止む無くSSDを乗せて2つのOSを共存させていたのだ。

まず、不調なHDDをはずし、SSDのみにしてシステムディスクからOSをクリーンインストールする。アップデートにはネット環境が必須だが、どうもSafari の調子がイマイチで、粘って解析の根気もないので、Chrome をインストール。こちらも OS 10.6 ではサポート外だが・・  なんとか動いてくれる。
計画性もなくなし崩しにリビルトを始めたものだから、手順が悪い。
この状態でソフトを引っ張り出し、インストールをはじめる。

MS Office 2008・・ん~、別に古くても・・ちゃんと動く。
Final Cut Studio2・・ 大丈夫。
EIAS5.0  OK! OK!  7.0 もOK! これが動いてくれるのはとてもうれしい。
マシンもOSもソフトも全部古いだけだから、動いて当然か。
が、Adobe CS3 がシリアルのアクティベートができない・・
調べると Adobeアクティベーションサーバーがもう終了しているらしい。
一時はシリアル再発行のサイトが立っていたようだが、CS3ではそれももうない。

・・さて困った、また後日、調べ考えよう・・

あぁ、小市民

ツレと相談して、懸案の群馬行きを延期した。
今は埼玉にいるのだが、あまり寒くなく通院や雑用などの都合さえ許せば、群馬の山で過ごすことにしている。ツレも私も煩わしいことが嫌いで、向こうに行きたいのだが、
コロナ禍にあって用もない移動にためらいがあった。
まあ、天気もすぐれず、向こうはまだ少し寒い日もあり、
こっちでしかかりな事もあるし・・・

古ーいMACの再建、金継ぎの続き、映像機材の整理、DIY整理・・
いろいろ、やることはある。草木の整理やそれから梅も・・

Macは今日、エアダスターが届くので掃除からもう一度手をかけよう。
金継ぎも仕上げてしまおう。

Macのことは懐かしく思い出される。別に章立てして書こう。

 

いま, どうする? 参与さんよ 絆がどうした? 支持された?

日曜のニュースショウ。政府のコロナ対策担当大臣はこの期に及んでまーだ昨年末あたりと同じことを言っている、と思ってこの項を書き始めたのは先週のこと。それからもう1週が経ってしまった。その間、COVID-19や五輪関連でツッコミどころ満載の政府対応がたくさんあった。
特に書いておきたいのは参与さんよ。無神経、傍若無人、思考停止、時代錯誤。どんな否定の言葉も当てはまってしまう。

五輪担当大臣もやってくれた。分断と絆?
分断を生んでいるのは政府が五輪を乗せて押している横車である。つまり、五輪用の感染対策や医療整備に対して反論が大きく、五輪賛成派との間が分断している訳で、その無理な開催は社会の絆を断ち切ることはあっても結ぶことはあり得ない。さっぱり理の通らない発言だ。

組織委会長も、IOC理事会から全面的な支持を得たなどとヘンなことを言っている。
IOCというのは五輪を業とする団体だろう。そんな団体が開催を推進するのは当たり前のことであり、準備の滞りや不安の責任は現場組織のJOC以下が負っているだけである。支持されたというのはおかしい。つまりIOCの支持は開催へ突き進めという指令でしかなく、懸念材料を打ち消すものでもなんでもない。また、SNSでおきている選手個人への中止要請も、国を始めとした推進側が反対意見に対して真摯に論理的に答えていないから起きていることである。SNS上の出来事を嘆くなら、懸念される要因に丁寧に答えるべきである。

ところで、組織委員会の<組織図>に会長が記載されていない。名誉職?

組織委員会について

 (追記) 組織図下の//名簿>役員等 に、名誉会長・会長・副会長と並んでました。


こんな風に上げれば、たくさんのやれやれなのだけれど、<COURRIER Japon> が現在の五輪関連に注目した 仏紙「リベラシオン」の記事を紹介している。よく書かれていて、わかりやすいと思う。

フランス紙が大特集「いままで日本国民のためにしてこなかったことを、選手団のためにはするのか」 | クーリエ・ジャポン

 

もやもや、気に食わぬ

いまは9日の未明。ふしだらな暮らしで、今頃のこのこパソコンに向かっている。
4月末からこのゴールデンウィーク中、新型コロナ対策や東京五輪問題で、なんというか、理の通らぬ身勝手な言質が目立ったようだ。一番が緊急事態宣言延長に係る首相会見だ。宣言の効果を問われ「人流を抑えることができた」と言いながら、延長に際して「大規模店などの営業規制を緩和する」という。街行く人を増やしたいのか、減らしたいのか、訳がわからぬ。この矛盾は各界から指摘され、大都市からはその方針をキャンセルされている。だいたい「人流」などという言葉はいつの間にできたのか。おそらく、ビッグデータの解析や何かで使われたのだろうが、政府が国民に事を説明するのに使うべき日本語ではないような気がする。

五輪関係では、組織委会長が「緊急事態宣言中にお越しいただくのはバッハ会長に大きな負担をおかけする」と言ってのけた。おいおい、その間に行っているプレマッチや聖火リレーなどに組織委員会は関わりないのか。その選手たちや係の人々にコロナ禍の負担をかけてはいないのか。
また会長はファイザー製のワクチン無償提供に「安心、安全な大会開催に一歩前進」と歓迎。どうやら組織委にとって「安心、安全」とは、五輪開催のための条件でしかないようだ。民意の7割が五輪開催に反対する理由の一つが、国と世界の「安心、安全」が五輪開催によって脅かされる懸念である。開催による感染拡大のリスクは、増大こそすれ小さくなることは決してない。特に、大会が終了し関係者が各国に帰った後に世界のウィルスがどんな状況になるか。予測はできているのだろうか。

街行く人々がマイクを向けられ、コロナ禍に関して語る言葉も気にかかる。
皆さん、コメンテーターのように流暢だ。施政を批判するであれ、自分の感想や実践であれ、とてもきれいに答えている。撮った後の取捨編集があるから、まとまりはいいのだろうが、なにか他人ごとに論評しているように聞こえるのだ。これはもしかしたら、ホントに多くの人々がコロナ禍をもう他人事と捉え始めていないだろうか。
東京都の場合、現在の感染者累計は人口の約1%という計算なのだが・・
もしかして、いらぬ風評を避けるために隠している人もいたり・・

クラスター追跡と称し、プライバシーに考慮しながらの行動聞き取りで、なるべく対象を増やさないように設定した<濃厚接触者>を追うだけの感染対策。そして、せっかく抽出した感染者が自宅療養、施設療養と称した、治療とは言えない環境に置かれているのが医療の実態である。こんなことが漫然と行われている。
本来は感染者の行動が公表され、皆がその情報を共有して感染予防に活かすべきだと思うが。

どうして~ という言葉

テレビを見ていてツレと争いになった。
「どうしてコイツが出てる」というから、「テレビだから」と答えたのが発端だった。
ツレがコイツを忌み嫌っているのは十分承知であり、私もイヤだ。そこで、テレビというものへの皮肉を込めて返したつもりなのだが、ツレの受取りは「どうして同意してくれないの」だった・・・

どうしてというのは問いかけのセリフとばかり思っていたら、そうではない。
同意を求める言葉なのだ。そういえば女性からの問いかけの多くは同意、賛同を求めるものだと、何かに書いてあったか・・と思い出していると「だいたいあなたは昔から~~  やれやれ・・もう一つ、書物にあったのを思い出した。
争いの時、男子は現在と目先しか見ないが、女子は過去と未来を覗いていると。

おっと、こんな男女のことを書きたかったのではない。最近よくテレビ、それも報道番組から聞こえてくる「どうして~」という言葉についてだ。
今日もー どうして札幌市民マラソン中止で五輪テストマラソン決行? ーどうして公的PCR検査は増えない? ーどうして日本のワクチンは~~ 枚挙にいとまがないが、主にCOVID-19 関連が多いだろうか。
私はCOVID-19について、答えのわからない問いには「新型だから・・」と答える。ツレは「新型コロナ発表!」の '70頃のポスターをWebでみつけ目を輝かせていた。

で、テレビの「どうして~」についてだ。テレビのどうして~は、言い放しが多い。ーどうして決行なのでしょうか。ーどうして増えないのでしょうか。こればっかり。
メディアのあり方として、疑問を投げかけるという立場に終始していいのか。一応メジャーメディアなのだから、自力で答えを見つようとか、不都合な事実を明示しようという姿勢があってもいいのではないか。メディアに求められる中立とは、物言わぬことではない。事実に沿うことであろう。はやりのエビデンスというやつだ。
もっとも、国のトップが正論をぶつけられて「私はそうは思いません」と平然と答え、それを垂れ流しているファッショな状況だから、あるいは、メジャーな故の忖度か? 

 

コロナな毎日

時間ばかりを持て余す日々。つけっ放しのテレビはコロナ禍の深刻さを伝えている。
というか実は、報道や情報番組を追っては政府の対応や社会状況を憂いている。
昨年の2月頃、高齢者に近くて少し患いのある私の元には、健康を気遣う言葉が寄せられた。私はそのたびに「これは健康問題ではなく、社会問題として大変だ」と言っていた。職していたころ、<パンデミック>や<アウトブレイク>といった言葉の近くにいたので、クルーズ船が近づくのを見て、社会的なインフラがどう対応するのか、心配になっていた。また、地球規模の自然災害や大きな気候変動もあり、ウィルスに侵される人類滅亡の序章ではと、SF劇画的妄想をたくましくもしていた。

それが、このごろは大げさではなく、本当に大変なことかもと感じ始めている。
地球規模の感染拡大により地域間、国家間の格差が大きく変化し、感染が収まったとしてもその後にどんなことが起きるのか、見通せない。おそらく出生率も変化し、人口流動も甚だしいだろう。待ち受けるのは低迷か貧困か争いか。
この国が行っていることは、呆れるほど間違いだらけで非効率だ。担当大臣は「感染の波は何度でも来る」と言い放ち、だからどうするかは持ち合わせていない。今はあたふたしている時なので、特にそう見えるのかもしれない。
一つ一つの問題については順次書き留めたいと思うが、大きくは感染拡大時用の社会構造を構築し、それをシミュレーションすることで光明が見えてくるのではと思う。分かりやすく書くと、対策のために縮小すべき社会機能を、単に停止するのではなく、一時的に医療関連など不足する社会機能に振り替える仕組みである。例えば飲食業が療養患者のサポートに携わる。例えば移動制限で余る運輸業を需要の増える医療系の搬送に振り向ける。それは感染防止に資する労働であり、その対価は当然国が支払う。支援ではなく、感染防止対策費だ。
こんな程度のことは学生や社会学の人々がいくらでも考えてると思うから、頼みますよ、政治・行政の皆様。